照心語録 – 大切な項目と法則

6、器量と度量

・器量と度量(易経一日一言より)
器量とは、高い地位に相応しい対処能力であり、度量とは、自分に対する批判でも聞くべきものは受け入れようとする心の広さである。陰陽に分けるとすれば、器量は陽の力で、度量は陰の力になる。現代では能力や実績主義になり、会社組織のリーダーは器量型が多いといわれる。もちろん器量は大切だが、リーダーの真価が問われるのは、人の能力を活かし、人を育てる度量である。リーダーは、度量という陰の力を育てることを忘れてならない。

・よく人を容るる者にして、しかる後以て人を責むべし。人もまたその責を受く。人を容るることあたわざる者は人を責むることあたわず。人もその責を受けず。(言志四禄)
人を肝要に受け入れる度量の持ち主であって、初めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受けつけないものである。

・小才は人をふせぎ、大才は物を容る。小智は一事に耀き、大智は後図に明らかなり。(言志四禄)
わずかな才能を持つ人は他人の受け入れを拒んで自己に固執するが、大きな才能を持つ人は他人の言動や事物を包容していく。浅知恵は一時的に輝くことがあるが、優れた知恵は将来にまで残るような計画を明らかにするものである。

・ハラをすえるという事は、裏返せばすべて神まかせという事でもある。だが単に神まかせというだけでは、まだ観念的であって、よほどそれに徹しないとフラつきやすい。(森信三)

安岡正篤
・人間には頭と胸と腹というものがある。よく昔の人は、「あれは腹ができておる」と言った。また、若い人はよく「胸が熱くなる」とか「胸が痛くなる」と言う。ところが現代に近づくほどあまり腹とか胸とか言わなくなって、頭、「あたま」と言うようになった。これは時代の変遷をよく表している。頭(=知)と、胸・腹(=情あるいは情意)のどちらが根幹でどちらが枝葉であるかといえば、これは言うまでもなく情意である、頭ではない。

・骨力は男性に在っては千万人を敵とする心、女性に在っては忍受である。千万人を敵とするの心は、やがて千万人を救うの心となる。

・務めて徳を積む必要がある、務めて汚いもの嫌なものを包容する度量を養う必要がある、務めて和らぎ人を愛する必要がある、務めて精力・神気を惜しむ必要がある。