神聖政治の復活

先に、経済システムの問題点を指摘したが、政治システムにも多くの問題がある。選挙によって選ばれた人が、よりよい社会を実現するために、政治に携わるというのが民主主義である。ところが、選挙に当選するには、多くの票を集めなくてはならない。そのためには、選挙資金が必要となる。いつまでたっても、「政治と金」の問題が無くならないのは、あたり前のことだ。
また、多数決原理では、長期的なスパンに立って、本当に国民のためになることが実行されず、組織票になる、一部の大手企業や労働組合などの利益になることや、場あたり的な大衆迎合的な政策が優先されがちになる。
さらに、今の政治システムは、与党と野党という対立軸になっている。
テレビの国会中継を見ていると、国会が対決の場のように思えてしまう。
なかには、子どもや夫婦の喧嘩のように、揚げ足をとっているとしか思えないような、幼稚な議論のやりとりも見られる。
この対立軸では、本当に国民のためになる政策であってもスピーディーに実行されず、国民の利益になることよりも党利が優先されがちになる。
香代子先生によると、「神々の世界」には多くの神々が存在するが、それぞれ厳格なお役目があり、決して他の神のお役目を侵すことがないという。神々の頂点に君臨する大神(最高神・創造主)のまわりには、直属の12人の神がいて、合議制でそれぞれ自分の意見を述べることができるらしい。
ただし決定は、大神ただ一人と決められている。
私は大神(創造主)配下の12人の神が、「イスラエルの12支族」や「キリストの12使徒」の「12」の由来と考えているが、それはともかく、「神々の世界」の政治運営は対立軸ではなく合議制である。
そのため、与党と野党が足を引っ張りあい、国民の利益より党利を優先するようなことはない。まして、多数決原理による弊害もない。
今、野崎先生が一番望まれていることは、神々のご指示とお力を正しく受けとることができる人が、一人でも多く育つことである。
「新しい時代」、「神の世」の「型」をつくるには、神々のご指示とお力を正しく受けとることができる人が、数多く必要だと思われているからである。
「新しい時代」は、本当に国民のためになる、私心のない公の立場を最優先する、神々のご意志による「神聖政治」が復活するだろう。