照心語録 – 大切な項目と法則

「命」と「分」を知る(人として最も大切なこと)

  • 孔子曰わく、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。(論語)
  • 先師が言われた。「天からの命令(天命・使命)を知らなければ、君子とは言えない。礼を知らなければ、一人前の人間として立っていくことが出来ない。人の言葉の善悪を分からなかったら、人を知ることは出来ない」
     
    ※命とははたらきであり、命令である。人はすべて天命すなわち天のはたらきによって生まれ、そして何人も代わることのできない尊いはたらきが授けられているのである。したがって、命を知るというのは、真の自分を知ることである。
     
    ※ちなみに、「君子」とは
    孔子の理想とする人物で、広く人民を救える「聖人」を目指して修養を怠らない人物で、その本質は、「知命」「知礼」「知言」である。
    一方、君子と対照的な「小人」とは、修養を怠るつまらない人物。したがって、誰でも修養すれば君子になれる。ちなみに、「仁者」とは、慈しみの心で人を救える人のことで、この仁は孔子の教えの基本になっている。

    ※ちなみに「礼」とは
    行動のきまりを意味するが、安岡氏は次のように言っている。「すべて生きとし生けるものはみな体を具えている。すなわち全体的存在なのであって、部分を雑然と集めたものではない。無数の部分から成り立っている全体である。この全体と部分、部分と部分の間柄が美しく調和している状態を『礼』という」
    つまり、「礼」の根本は「分」を守ることにある。
    わかりやすく説明すると、私は紳祐と榮太郎にとっては「父」であり、お母さんにとっては「夫」であり、モンマートでは「社長」であり、心理学の学校では「受講生」だが、それぞれの関係において、「父親らしく」「夫らしく」「社長らしく」「受講生らしく」するのが「分」を守るということである。集団のなかで、それぞれの人が「分」を守れば、「和」すなわち人間関係の調和が保たれる。

    • 子日わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳従い、七十にして心の欲する所に従えども、矩をこえず。(論語)
      先師が言われた。「私は十五歳の年に聖賢の学を志し、三十になって一つの信念を以って世に立った。しかし世の中は意のままに動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理がわかるにつれ迷わなくなった。五十になるに及び、自分が天の働きによって生まれ、また何ものにも代えられない尊い使命を授けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのまま行動しても、決して道を踏み外すことがなくなった」
    • 天を楽しみて命を知る。故に憂えず。(楽天知命)(易経)
      天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知るならば、人に憂いはない。「楽天」と「知命」は同じ精神である。いかなる運命でも受け容れ、喜び感謝して生きていく。これは、天の働き・情理を楽しむ精神である。この言葉は、楽天家、楽天主義の出典である。
    • 命を知る者は、巌しょうの下に立たず。(孟子)
      天命を重んずる人は、今にも崩れそうな危険な崖の下には立たない。
    • 天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行うこと其の為さんとする所に払乱せしむ。(孟子)
      天がある人に何かをやらせようとするとき、まずその志を苦しめことが起こる。肉体を消耗させることが起こる。お腹がすくことが起こる。貧乏になることが起こる。そして、一所懸命やろうとすることがうまくいかないことがある。
    • 人は須らく自ら省察すべし。天何の故にか我が身を生出し、我をして果たして何の用ににか供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり、天役共せずんば、天咎必ず至らん。省察してここに到れば、すなわち我が身のいやしくも生くべからざるを知らん。(言志四禄)
      人は必ず次のことを反省して考察しなければならない。「天は何ゆえに自分をこの世に生み出し、自分に何をさせようとしているのか。私は天が生んだものであるから、必ずや天から役割が与えられている。その役割を果たさなければ、必ず天罰を受ける」と。よく考えてここまで明らかになってくると、自分はいい加減に生きるわけにはいかないとわかってくるだろう。
    • 太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とす。
      最上の人物は天(宇宙の真理)を師とし、第二級の人物は聖人や賢人を師とし、第三級の人物は聖賢の書を師として学ぶ。(言志四禄)
    • 凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを愛すべし。人に示すの念有るを要せず。(言志四禄)
      すべて事業を行うには、必ず天の意志に従う心を持つべきである。他人に誇示する気持ちがあってはいけない。
    • 自分の「分」を知らなきゃ。卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしていても、ろくな仕事はできやしないし、不渡りを食う結果がくるのだ。5貫目の力しかないのに、10貫目のものを持ち上げると、どんな結果になるか、ということを考えることだ。自己認証ということは、自分の「分」を知ること。これが本当の自己認証である。(中村天風)

    森信三

    • 大よそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として謹んでお受けをするということが、われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。ですからこの根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、また真の人間生活は、ここから出発すると考えているのです。
    • われわれ人間というものは、すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、そこに好悪の感情を交えないで、素直にこれを受け入れるところに、心の根本態度が確立すると思うのであります。否、われわれは、かく自己に対して必然的に与えられた事柄については、ひとり好悪の感情をもって対しないのみか、さらに一歩すすめて、これを「天命」として謹んでお受けするということが大切だと思うんです。同時に、かくして初めてわれわれは、真に絶対的態度に立つことができると思うのです。
    • わが身にふりかかる事は、すべてこれ「天意」-そしてその天意が何であるかは、すぐに分からぬにしても、噛みしめていれば次第に分かってくるものです。
    • 自分の天分を発揮するということですが、この天分の発揮ということは、実は単に自分のことだけを考えていたんでは、真実にはできないことであります。すなわち人間の天分というものは、単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では、十分なことでないのであります。ではどうしたらよいのかというと、それは、自分というものを超えたある何物かに、自己をささげるという気持ちがなければ、できないことだと思うのです。
    • いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、最善なはずだ。それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、一切これを却けず、素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。したがってそれはまた、自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。
    • 「分」を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間も「分」を自覚してから以降の歩みこそ「ほんもの」になる。だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ、「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。
    • 世の中はすべて「受け持ち」なりと知るべし。「受け持ち」とは「分」の言いにして、これ悟りの一内容というて可ならむ。
    • 「分」を突きとめ「分」をまもる。
    • 人間の偉さは才能の多少よりも、己に授かった天分を、生涯かけて出し尽くすか否かにあるといってよい。

    船井幸雄

    • 偉大なる何者かが存在する
       世の中には、われわれ人間の知恵でははっきりとわかりかねますが、「偉大なる何者か」が存在しているはずだと私は思っています。われわれ人間は、科学的という手法では、どんなに努力しても、木の葉一枚つくれず、大腸菌一つつくれないのです。ところが宇宙を見ますと、数えきれないほどの星があります。身近なところでも、銀河系があり、その中に太陽系があり、その第3惑星に地球があります。地球上には何百万種類もの生物が存在しますが、そのそれぞれが、実に人知のおよばない緻密さで創られ、すべてが一糸乱れずに運用されています。いったいそれを誰がつくり、誰が運用しているのでしょうか?わたしの友人の多くの優れた科学者たちは、それは、「偉大なる何者か(サムシング・グレート)」によるにちがいないと考えています。それは大自然の偉大な力の源泉であり、宇宙全体の意志のようなものともいえますが、「われわれすべては、サムシング・グレートに、目的をもって作られ、生かされて生きる存在だ」と思うことにしています。これがもっとも納得できるからです。
    • 不運が続くのは、自分の使命と違うことをやっている証拠。
    • 大きな苦労を背負う人は、それだけ大きな使命をもっている。
    • 良心は、自分の使命や役割といったものに、発展の座標軸がある。
    • 人生の目標をお金やものでなく、自分の使命に見出していく