照心語録 – 大切な項目と法則

9、時の変化の法則(栄枯盛衰の法則)・陰の徳

(『易経一日一言』より)

・元亨利貞
乾は元いに亨りて貞しきに利ろし
「乾」は偉大なる天の働きであり、天道を司る根元をいう。
「元」は物事の始まり、元旦の元である。
「亨」は通る、通じる。生じた万物が育っていくこと。
「利」は収穫、実り。万物が育っていけば、必ず実りがある。
「貞」は正しい。実りが正しいものであれば、それは堅く守られていく。
元亨利貞は乾の働きに従って正しく行うならば万事順調に進むことを教えている。これは易経の教えの根幹である。それぞれは、春夏秋冬にあてられる。春に生じたものが、夏に大きく育つ。秋に豊作となり実る。実ったものが固くなって、やがて落ちて大地に還元される。この無窮に繰り返す変化の原理原則が元亨利貞。これを常態といい、物事の成就の道を示している。
一方、原理原則に外れるものは変態であり、中途挫折の道となる。元亨利貞は、原理原則に従う大切さを教えているのである。
※始まり(元)、成長(享)、実り(利)、成熟(貞)の循環が万物に通じる易経の「四徳」で常態。この道を踏み外し、一足飛びに進もうとすると必ず中途挫折することになる。

・易の三義
「易」は一字で変易、不易、易簡の三つの意味を持つ。これを「易の三義」という。
「変易」・・・森羅万象、すべて一時たりとも変化しないものはない。
「不易」・・・変化には必ず一定不変の法則性がある。
「易簡」・・・その変化の法則性を我々人間が理解さえすれば、天下の事象も知りやすく、分かりやすく、人生に応用するのが簡単である。
すべてのものは変わる、そしてその変わり方には一定不変の法則があって、その法則は変わらない。その法則を素直に見て、素直にわかろうとしたら、とても易しく、私たちの人生にも容易に応用できるのである。

・大いに終始を明らかにし、六位時に成る。
「六位」とは、始めから終わりまでに経ていく六段階のこと。
例えば、物事の修養過程で見れば、立志、修養、修業、独創、達成、衰退という六段階を経ることになる。

・時に六龍に乗り、もって天を御す。(生成発展の六段階)
龍は雲を呼び、雨を降らすといわれる。そこから龍は「天」と「陽」を象徴する生き物とされる。易経六十四卦の乾為天の卦には、龍になぞらえて、志の達成までの変化の過程を次の六段階で記されている。
第一段階「潜龍」高い志を描き、実現のための力を蓄える段階
第二段階「見龍」基本を修養する段階
第三段階「君子終日乾乾」創意工夫し、独自性を生み出そうとする段階
第四段階「躍龍」独自の世界を創る手前の段階
第五段階「飛龍」一つの志を達成し、隆盛を極めた段階
第六段階「こう龍」一つの達成に行き着き、窮まって衰退していく段階
この六段階を「六龍」という。この六つの過程は朝昼晩、春夏秋冬の変化過程と同じであり、大願成就の天の軌道である。

・潜龍用いる勿かれ
潜龍とは潜んでいる龍。才能を秘めながらまだ世に現れていな下積みの時代の君子をたとえた言葉。「潜龍用いる勿かれ」とは、いくら才能があったとしても、この段階にある人を重用してはならないという教え。焦って早成を求めると必ず失敗してしまう。自分が潜龍の段階にあるならば、ひたすら力を蓄える時と自覚することが大切であり、力を外に向かって誇示しようとしてはならない。

・龍徳ありて隠れたる者なり。世にかえず、名を成さず、世をのがれてうれうることなく、是とせられずしてうれうることなし。
潜龍は世に潜み隠れるように修養を積む。世の流れが変わっても志を変えず、名を成そうともしない。また、認められなくても悶々としない。無理に世に出ようとせず、来るべき時に備え、ひたすら修養に励み、志を不動のものにし、実力を蓄える期間が人間には必要である。

・見龍田に在り。
「見龍」とは、地中に潜み隠れて、志を養った潜龍が地上の水田に表れたという段階。見龍とは見て学ぶ龍、見習う龍である。何を学ぶのかというと「田の耕作」を学ぶ。春夏秋冬、その時々に何をするべきかという物事の基礎を、師から学ぶのである。基礎を学ぶ時は見よう見真似に行うことが最も大切。とにかく徹底的に師のコピーに徹することによって、しっかりとした基礎を身につけなくてはいけない。

・飛龍天に在り。大人を見るによろし。
「飛龍」は、空を翔け、雲を呼び、万物を育む雨を降らせる。これは多くの力を集め、人間社会に大きく貢献するリーダーになることを意味する。社会的に認められ、お金も儲かり、人も集まってくるようになる。しかし、こういう時は「好事魔多し」で、尋常でない勢いもつきやすい。「大人を見るによろし」とは、組織の頂点に達した時こそ驕らず、周りの人、すべてのものから見習うべきだと教えているのである。

・天地は節ありて四時成る。
「節」は竹の節である。固い節目で一区切りつけて止まり、次の節目に至る
まで伸びる。竹は節があるから真っ直ぐに伸び、強い風にも耐えられる。四気の巡りにも程よい節があり、その節を設けて巡り万物は成長する。人間も物事も節を設けることで成長するのである。

・時止まるべければすなわち止まり、時行くべければすなわち行き、動静その時を失わず、その道光明なり。
止まる時には止まる。行くべき時には躊躇なく進む。動くにして止まるにしても時を得ていれば、道は明るいという意味。止まることは停滞ではない。「止まる」という行為、行動である。進むべき時に進むために、止まるべき時には止まることが必要である。

・先んずれば迷い、後るれば主を得。
「従う」能力といってもいい陰の徳の特徴を説いている。従うべき時に従わないと必ず道を失い、迷うが、後れてついていけば、従うべき主を得る、といっている。新しい環境に入った時は、先頭に立って我を出してはいけない。まず、その環境に習い、従う。自分なりのやり方、考え方を一度捨てるのが従うコツである。

・「こう」の言たる、進むを知って退くを知らず、存するを知って亡ぶを知らず、得るを知って喪うを知らざるなり。
「こう」は驕り高ぶったリーダーのたとえ。進むことだけで退くことを知らず、繁栄し続けると思い込み、衰退することを考えない。利益を貪って、失うことを知らない。賞賛され続ける優れた人ほど、危機管理能力を失いやすい。退くことをいやがり、省みることを渋るのは、自分も物事も客観視できなくなったことの表れである。

・陰を生み出す
陰陽の「陽」は、強くて前に進む性質をいう。しかし、陽の力だけでは、自分の力を誇示して独善的になり、人の意見に耳を貸さなくなり、いつか急激に失墜する。そうならないためには、自ら「陰」の力を生じさせ、コントロールする必要がある。陰の特徴は、従順・受容・柔和。人に従い、人の意見に耳を傾ける謙虚さを持つことである。優れたリーダーであっても、陰を生み出すことができなければ、後継を育てることはできない。いずれ周りの人間は去り、組織を保てなくなる。

・未済は、亨る。子狐ほとんどわたらんとして、その尾を濡らす。利ろしきところなし。
「未済」とは、未だ川を渡り終えていないことをいう。つまり、未完成、未熟な時をいう。そんな未熟さを子狐が川を渡ることにたとえている。狐は大きな尾を持っているが、水を含むと重くなって泳ぐのに負担がかかる。成長した狐は尾を高く上げて川を渡る知恵があるが、子狐は岸までもう少しというところで尾を濡らし、渡り切れない。未熟者は蛮勇をふるって事に臨むが、九分通りまで行ったところであと一歩が成せない。子狐が失敗するのは、知恵や技術以前に、自分の未熟さを認識できないからである。「未済は亨る」とは、未完成が完成に至ること。これではだめだと未熟さが身に染みた時から、完成への道が開けるのである。どんなに人生の経験を積んでも、自分の未熟さに気づくことは新たな希望である。

・未完成に終わる
易経六十四卦は、火水未済という未完成の時を説く卦を最終に置いている。完成を終わりとして満足しては、発展がない。人は、自分が未完成であると気づくと謙虚になり、努力成長しようと思う。未完成であれば、窮まりなく成長を続ける。人は常に新たな志を持ち、どこまでも伸びゆくべきである。