甦った神々

天上界の成道

ご主人の卓巳先生は、今説明した、香代子先生の「神の世界」での体験を倉本さんに伝えた。すると、倉本さんは大変驚かれ、しばらくしてから、次のような提案を持ってこられたのである。
「あなたの存在を社会に知らさなければ、もったいないので、ひとつ、教団をつくって人助けをやられたらどうでしょう。京都大学の心理学の先生にも協力してもらうように、話は通してあります」
その提案に対して香代子先生は、
「せっかくのご好意ですが、私にはまだまだ納得の出来ないことがたくさんあります。教団を作るのは早すぎると思います。まして、あなた方がつくられた教理や教義の上に乗せられて、操り人形のように踊らされるは真っ平です。だいいち、神さまは見せ物ではないと思うので宣伝する必要もないし、神々が私を必要とされる時期が来たら、人々は自然に集められるのではないでしょうか。その時になってからでも決して遅くはないでしょう」
そう言われて、教団をつくる誘いを断られたのである。
その後も、香代子先生の修行は続いた。
当初は「無」の状態になることに疲れ、瞑想を嫌がっておられたが、多くの神々との語らいを通して、「神の世界」に興味が湧き、瞑想にもあまり抵抗を感じなくなってきた。それに伴い、香代子先生の雰囲気が変化してきた。ある時はとても優しい感じがしたり、ある時は傍に寄りがたい怖い雰囲気を感じたりして、いつの間にか、ご主人の手の届かない存在になってしまったのである。
そんな先生に新たな変化が起こったのは、昭和44年6月30日のことである。
この日の夕方から、突然40度以上の高熱を出し、体温計を3本も割る様な状態が5日間も続いたのである。その間、先生は平気な顔をして、少し頭が痛いと言って鉢巻をして、布団の上に座っていた。
その時、ご主人に「ちょっと書いて」と喋ったのが次の言葉である。

五月雨の五月匂へど山百合の 三界三歳の頃にこそ
人和を作る元となる 匂へども近きに神々の姿あり
我が身は 神に捧げてあらむ
海山の青き深きのその如く 尊き神の思召し 分ち給わん皆平等し

この高熱以来、不思議なことに、香代子先生が神々をお呼びすればそれぞれ来神され、先生の一部分となって、力を貸してくださるようになった。この後も、時々、40度を越える高熱を体験されたが、実はこの高熱によって、身心ともに浄化されていったのだ。
ところで、霊能者や神仏修業者という方が滝に打たれたり、あるいは、経文を唱えながら霊の祓いをしている姿が、時々、テレビで放映されている。
それを見て香代子先生は、
「どうして、あんな無駄なことをやるのだろう。修業とは、自分が正座できるだけの場所があれば充分なのに。霊の祓いは、神仏の力を借りれば簡単に出来るのに、どうしてそれが出来る様に修業をしないのかね」
と言われていた。
その後、昭和55年2月のことである。
香代子先生は、頻繁に高熱が出るようになった。その様子を見ていたご主人は、何らかの変化の兆しと感じられ、「熱があってしんどいだろうが、瞑想して神々のところへ訪問してはどうか」と提案された。
この時の「神の世界」への訪問によって、香代子先生は「神の世界」の最高神である天地王大神之尊の御魂を持って、人間の救済のために降臨されたことを教えられるのである。
香代子先生は熱が下がるのを待って瞑想し、ご自身の知恵の神である、大黒天のところへ訪問した。
すると大黒天は、
「天部(天上界)では、あなたには、もう何も教えることはありません。これからは、あなた自身の足で歩き自分の信ずるままに行動してください」
と言われるのだ。
香代子先生は、大黒天が「天部では、何も教えることはない」と言われ、私にたいして「あなた」という敬語を使われるのは不思議だと思い、もう一度瞑想して、今度は天地王大神尊のところへ向かった。
すると、天地王大神尊がおられる神殿にその姿がなく、神殿の中にはなんと!自分の姿があるのだ!!
しかも、神殿の上には毘沙門天が立ち、四方を睨み自分を警護しておられる。「これは、どういうことなのですか」
と大黒天に尋ねると、
「これからは、あそこがあなたの御座所です」
と教えられたのだ。
このことは、香代子先生=天地王大神之尊であること、すなわち、香代子先生は「神々の世界」の最高神である天地王大神之尊の御魂を持って、人間社会に降臨されたことを教えられているのである。

10_吉祥天_先生_毘沙門天