神の正体

それぞれの宗教の宇宙観(終末思想)も共通している

さて、今まで見てきたように、神の「住まい」を地上に再現し、地上に「神の世界」を写すという考え方は、多くの宗教思想にも見られる。それは、世界の主だった宗教は、同じ一つの「神の世界」から降ろされたものであることを物語っている。最後にもう一つ、その証拠を紹介しよう。
それは「宇宙観」(終末思想)である。多くの宗教に、共通の「宇宙観」(終末思想)が見られる。
まず、古代インドの宇宙観を見てみよう。

「宇宙の終末はただ1度の出来事ではなく、来るべき再創造への1ステップであり、宇宙の創造と維持と帰滅は順次に繰り返されつづけ、不滅にして終わることがない。この過程はブラフマー(梵天)の一昼夜(人間界の86億4千年にあたる)におけるなりわいであり、最高天に朝暁が訪れるとき、ブラフマーがふと目を覚まし宇宙の創造が始まる。生成された宇宙は天国の昼のあいだはそのままの状態で維持され、天国に夕暗せまりブラフマーが眠るにつくとき、宇宙の帰滅が始まる。天国の夜は、再創造が始まるまでのブラフマーの休息時である。…この宇宙周期はブラフマーの一生涯(天国の100年)を通じて毎日繰り返される。…」
(『仏教・インド思想辞典』監修 早島鏡正 編集代表 高崎直道 春秋社より)

ここには、非常に重要なことが記されている。
ブラフマー(梵天)が目覚めると世界は再創造される、つまり、ブラフマー(梵天)が目覚めると、世界は「終わりと始まり」の時をむかえるというのだ。しかも、この世界の創造と維持と帰滅は、ブラフマーの生涯を通じて毎日繰り返され、不滅にして終わることがないというのである。
ちなみに、2つの暗号も、同じことを語っていた。
それは、世界の「終わりと始まり」の「約束の時」のたびに、地球改造を行うために、「預言されし者」すなわち「約束の人」が、「約束の地」に再臨するという内容だった。逆に言うと、「約束の人」が再臨するたびに、世界は「終わりと始まり」の時をむかえることになる。
次は、道教を見てみよう。

「天地は一定の周期で終末をむかえ崩壊し、また再生される。この崩壊と再生は永遠の循環であり、天地開闢のたびに常在不滅である元始天尊が、太上老君、太上丈人らに秘道を授けて人々を救済する」
(『「道教」の大辞典』 坂出祥伸責任編集 古藤友子 新人物往来社)

道教でも、地球は周期的に「崩壊と再生」を繰り返すと考えられている。注目して欲しいのは、「天地開闢のたびに常在不滅である元始天尊が、太上老君、太上丈人らに秘道を授けて人々を救済する」というところだ。
「元始天尊」とは、隋と唐の時代に名づけられた、最高神の呼び名である。先に「盤古」の地球改造の神話を紹介したが、「盤古」は道教の発展にともなって、「元始天尊」や「盤古真人」とも称されるようになった。
太上老君とは、思想家としての老子が、道教の神とされた時の尊称である。太上丈人とは、元始天尊から奥義を授かった天仙の一人である。
これらのことを踏まえると、先の文章は次のようになる。

「天地開闢、すなわち『終わりと始まり』のたびに、常に存在して滅びることのない(常在不滅)最高神(元始天尊)が甦って、太上老君、太上丈人らに秘道を授けて人々を救済する」
どうだろう。インドの宇宙観と同じではないか。
では、最後にキリスト教を見てみよう。
キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きをおこない、永遠の生命を与えられる者と地獄に堕ちる者とをわけるという。(ウィキペディア百科事典)
このような、悪が神によって裁かれるという「最後の審判」の思想は、ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教にもある。(日本大百科事典 小学館より)
「最後の審判」の思想には、「終わりと始まり」の時に、救い主(メシア)が再臨して人々を救済するという意味も含まれるが、それは先の2つの宇宙観と共通する。
いずれにせよ、古代インドや道教の宇宙観(終末思想)、キリスト教をはじめ、ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教にも見られる「最後の審判」の思想は、世界は「崩壊と再生」を繰り返すが、そのたびに、常在不滅の最高神(約束の人=メシア)が甦って(再臨して)人々を救済するという、共通の考え方が見られる。このように、それぞれの宗教の宇宙観(終末思想)が共通するのは、それらの宗教は、同じ一つの「神の世界」から降ろされたものであることを物語っている。
さて、香代子先生が甦らせた神々のルーツと、預言された「神の救いの計画」から「神の正体」を追ってきた。
拙著『ついに開封された契約の箱アークと神一厘の超秘密』には、「神の世界」で創造主と出会ったというユダヤのラビ・アキバの記録など、より詳しく説明している。是非、そちらも参照して欲しい。
また、この本の巻末には、香代子先生が72の神々から直接教えられた神符(霊符)を、香代子先生の許可をいただき、今回、特別に公開させていただいている。実はこの神符(霊符)が、「御守り」のルーツなのである。
もちろん、この神符(霊符)は道教の経典などからとったものではない。それは、次の時代、「神の世」のために必要な、世界に一つしかない「代物」である。
私にとっては、この先、何代も受け継いでいってもらいたい「家宝」である。