神の正体

「亀と蛇」の姿をした巨石が示す72神のルーツ

ある日、ひょんなことでご縁をいただいた、高知県の周冶輝峰さんから、分厚い郵便物が届いた。それは、高知県の「足摺巨石遺跡」の資料である。
足摺半島の先端近くの海岸の一角に、世界一の規模といわれる巨石遺跡がある。それらの遺跡を長年にわたって調査研究されたのは、地元の宮崎茂氏をはじめ平石知良氏や富田無事生氏らだが、送ってもらった資料の中に「足摺に古代大文化圏」と題した、古代史研究家の古田武彦氏の論説のコピーがあった。(THIS IS読売7月号 平成5年7月1日発行 読売新聞社)
要約すると、次のような内容になる。

足摺の広大な巨大列石のなかに、動物の形を造形したものが発見された。
それは「亀」と「蛇状の口」を模したものの2つである。
いずれも黒潮にまつわる動物の造形だが、これらの巨石は、従来「山伏の修験道」の痕跡として処理されてきた。だが、それには、疑いの目を向けざるを得ないというのだ。
それはどうしてかというと、これらの巨石は、修験道のルーツである、中国の舶来文化の影響を受ける前の遺跡である可能性が高いからである。
というのも、3500年前のブラジルのミイラから、日本独特の寄生虫が発見されたことによって、「縄文人が黒潮に乗って南米のエクアドルに到達した」という、エバンス説が証明されたからである。

古田氏の見解を補足説明しよう。
「足摺巨石遺跡」は地元の研究者や古田氏に限らず、国内外の多くの研究者に注目されてきた。なかでも、アメリカのスミソニアン博物館のベティー・J・メガーズ博士は、現地の視察まで行っている。
ベティー・J・メガーズ博士は、30年以上前に(1965年)、夫のエバンス博士とともに、土器の類似性から「縄文人が黒潮に乗って南米のエクアドルに到達した」という学術論文を発表した博士である。
当時、前人未到のこの新学説は、あまりにも大胆過ぎて受け入れられなかった。だが、近年、この学説を証明するような証拠が発見された。
それは、前述の3500年前のブラジルのミイラから、日本独特の寄生虫が発見されたことである。この寄生虫は寒さに弱く、摂氏20度以下では死滅する。したがって、縄文人のベーリング海峡通過説よりも、エバンス博士の太平洋横断説が支持されるようになったのである。
いずれにせよ、縄文人が南米に渡ったことは間違いない。
この事実は、縄文時代の「古代大文化圏」(世界的なネットワーク)の存在を示している。だから、先の動物の造形の巨石も、中国文化の影響を受けた「修験道」の痕跡ではなく、「古代大文化圏」であるところの縄文文化独自のものだと、古田氏は主張されているわけである。
古田氏のコメントの中で、私が注目したのは「亀」と「蛇の口」の造形の巨石である。1章で述べたように、72神が合体すると、「亀と蛇」の合わさった姿になる。


足摺の巨石(玄武)写真

先述したが、この「亀と蛇」が合わさった姿は「玄武」といわれ、中国の「周」の時代に成立した、天文・占星術の四神の一つである。この四神は、5世紀頃に成立したと考えられている道教にも取り入れられたが、この道教の影響を受けたのが問題の修験道である。だから、「亀」や「蛇状の口」の巨石が、修験道の痕跡だと考えられているのである。
だが、この巨石は先の「北斗七星図形」同様、修験道の影響ではない!
そもそも、両者の成立年代が違い過ぎる。「亀」と「蛇」が合体した巨石は縄文時代のもので、修験道は奈良時代に成立したものである。
修験道とは森羅万象に命や神が宿るとするが、その教えは、古神道の一つである神奈備や磐座という山岳信仰や仏教と習合し、道教、陰陽道などの要素も加味された日本独特の宗教である。成立は奈良時代で、平安時代に盛んに信仰された。開祖については役小角(役行者)とされているが、役小角はあくまでも伝説上の人物なので、それは不詳とされている。(ウィキペディア百科事典より)
足摺巨石遺跡からは、縄文時代早期(紀元前7000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器片が多数出土している。先の「亀と蛇」の合体した姿の巨石は、縄文時代のものと考えられる。それは、中国で四神思想が起こったとされる周時代(紀元前1046~紀元前256)よりも、はるかに古い時代である。
したがって、「亀と蛇」の合体した玄武の姿をした巨石は、道教や修験道の影響ではなくその逆で、道教や修験道が、日本の縄文時代の宗教の影響を受けているのである。

高松塚古墳の壁画の「玄武」は里帰りした道教遺跡

ちなみに、奈良県高市郡明日香村にある高松塚古墳(7世紀末~8世紀初頭)の壁画には、「玄武」の絵が描かれている。この壁画は成立年代から考えて、道教や修験道の影響だと考えられる。
明日香地域は朝鮮半島からの渡来人が多く住み着いた地域で、高松塚古墳も渡来人のものと考えられている。よってその壁画は、中国から朝鮮半島に伝えられた道教思想が、日本にも伝えられたことを示している。
つまり、メイド・イン・ジャパンの亀蛇合形の神、すなわち「鎮宅霊符神」が、時代が下って日本に逆輸入されたのである。この例に見るように、「亀」と「蛇状の口」の巨石が、修験道の痕跡だと考える研究者がいるのも仕方のないことだと思う。
いずれにせよ、足摺の「亀と蛇」の合体した姿の巨石は、先の「北斗七星図形」同様、72神の鎮宅尊生神がメイド・イン・ジャパンであることを示す、確かな物的証拠である。

genbu_from_takamatsuzuka_koukuri
高松塚古墳の壁画の玄武(左)         高句麗古墳の壁画の玄武(右)