照心語録 – 厳選

中村天風(『中村天風 一日一言』)

中村天風(1876年~1968年)は、1904年、日露戦争の軍事探偵として満州で活躍。帰国後、当時不治の病だった肺結核の発病がきっかけで 人生を深く考え、病気治療と真理を求めて欧米を遍歴する。その帰路、ヒマラヤの麓で、ヨガの聖者カリアッパの指導によるヨガの瞑想で病気を克服。
このときの瞑想修業で霊性が目覚めた。帰国後は実業界で活躍するも、1919年、突如感ずるところがあり、社会的地位、財産を放棄し、「心身統一法」として、真に生きがいのある人生を生きるための実践哲学についての講演活動を始める。政財界の有力者をはじめ数多くの人々の支持をうけている。

  • 傑出した先達に見られる求道の精神は文字通り絶対不断であった。積極心を本当に絶対的にしたければ、その手始めに、一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らないことである。
  • 腹が立つこと、心配なこと、恐ろしいこと、何かにつけて感情、感覚の刺激衝動を心に感じたら、すぐ肛門を締めちまう。そして、おなかに力を込めると同時に、肩をおとしちまうんだ。
  • 夜の寝際の心は「特別無条件同化暗示感受習性」という状態になっていて、ちょいとでも考えたことは、パーッと潜在意識に刻印されちまうんだ。だから、昼間どんなに腹の立つことや悲しいことに関係した場合であろうとも、夜の寝際の心のなかに断然それを持ち込んじゃいけないの。
  • 誠と愛の心を以て、万物に接する時、期せずしてそれは光明となるのが必至である。これこそ、まことに最も近くして最も遠く、最も新しくして最も古き、すなわち久遠より永劫への、昭として一貫する不易の人生哲学と人生科学の真髄である。
  • どんなことを生活目標とすべきかというと、曰く「本心良心の満足を目標とする」ということ、すなわちこれである。言い換えれば「創造の生活」である。これをわかりやすく要約すれば、常に「人の世のためになることをする」ということを目標とする生活なのである。その心がけを現実化するには、常に誠と愛の心とを以て、万事万物に接することである。この生活目標を以て行われる生活には、満たされない欲望や落胆や、失意的焦燥煩悶というものが絶対にない。
  • 命令暗示法
    その要領は、鏡に映る自己の顔面に対し、自己の欲する積極精神状態を、命令的言語を用いて、たとえば「信念が強くなった!」というような言葉を、真剣な気分で発声する。発声は特に大声である必要はなく、自分の耳に聞こえる程度でよい。必要なのは、一回一事項に限ること。
  • どこまでも人間をつくれ。それから後が経営であり、事業である。
  • 想像はつまるところ、人間形成のモデルなんだ。
  • 低級な欲望や劣等感情情念がヒョイと心の中に発動してきたなと思ったらね、ソリロキズムというのをやってもらいたい。日本語に訳すと「つぶやきの自己暗示法」と言いましょうか。何も口にブツブツ出さなくていいんですよ。観念でひとりごとを言えばいいんです。「こんなことに腹が立つか。こんなこと悲しくない。自分はそれ以上すぐれた心の持ち主だ」というふうに、自分自身が一人でつぶやくのを、ソリロキズムと言うんです。これがまたばかに効き目があるんですよ。
  • 平素人生に活きる時に、つとめて明るく朗らかに活き活きと勇ましく活きる努力を実行すべきである。と同時に、この意味において私は、大いに「笑い」ということを礼賛する。笑えば心持ちは、何となくのびのびと朗らかになる。
  • およそこの世のありとあらゆる事物の中に、原因のないものは絶対に、一つとしてありえない。このことが絶対真理であるということは、自分の言動や仕事などの結果に、何か意に満たぬものがあるとき、それを仔細に検討すると、必ずや「力」か「勇気」か、もしくは「信念」が欠如していたためだという、原因的事実がある。
  • 精神の積極状態というのは、厳密にいうと「絶対積極」と「相対積極」の二つに分類される。絶対積極とは、「何事に対しても虚心平気の状態」をいい、相対積極とは「何事に対しても、できうる限り明朗、快活、溌剌、颯爽として対応すること」をいう。
  • クンバハカを応用しながら、日に何千回でもいいから深呼吸をすることを稽古しなさい。息を吸うときよりも、出すときが肝心なのよ。最初、肺臓の悪ガスを出すことが大事なんです。呼吸なんだから、「呼」のほうが先におし。
     こういう呼吸法をやっていると、いざというときにクンバハカがパッとできるばかりでなく、落ちついた気分が求めずして自分の気持ちのなかででてきて、今までのように感情や感覚にやたら引きずり回されなくなるんです。
  • 万物の根元である「気」が、人間の心の中に入って「観念」となり、その「観念」が「思考」となる。そしてその「思考」が、一方において「行動」となり、他方において「言葉」となって現れる。これは人間のみに与えられた恩恵であり、他の動物にはない。「言葉」というものは、「思考」が結集し、それを表現するためのものである。「言葉」には人生を善くも悪くもする力がある。だから「言葉」は、人生を左右する力のある哲学であり、科学であるということができる。
  • 人間は、この世に病むために生まれてきたのでもなければ、また煩悶や苦労をするために生まれてきたものでもない。否、もっと重大な使命を遂行するために生まれてきたのである。その大使命とは何かというと、「宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上を現実化することに努力する」ということである。
  • 他人と相対する時、常に元気に満ちた態度を保持し、できるだけ積極的な言葉を用いて会話することが必要である。わかりやすくいえば、決して意気の消沈した態度や、泣き言や愚痴やまして不当な欲求や消極的な感情情念を、かりにも口にしないこと、また行わないことである。言い換えれば、言葉も行動も溌剌颯爽としていなければならない。この心がけの実行を怠りなく持続すれば、実に予想外に本能心意が積極的に整理され得るのである。
  • 本心良心にもとった言葉や行いというものは、それ自体すでに消極的なんです。というのは、本心良心にもとると、やましい観念のために心の力は常に萎縮してしまうんです。・・・ですから、一言ものを言うときでも、ちょいと手足を動かす場合でも、本心良心にもとらないようにしなければなりません。
  • 「頼もしい自己建設」とは、これをわかりやすくいうならば、すなわち「命」を活かす力=「体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力」なるものを、量的にまた質的に、自己の生命の内容に充実せしむることなのである。
  • 良い運命の主人公として生きていきたかったら、何をおいてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、終始自分の心を監督していかなければならない。そしてまた、宿命統制にもう一つ必要なことがある。それは常に、心の中に感謝と歓喜の感情をもたせるよう心がけることである。習慣として、何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。
  • 心の本当の満足というのは、常にできるだけ自分の言葉や行いで、よろしいか、他人を喜ばすことを目的とする。ところが、それを何か他人の犠牲になる、そんな生活のように考える人もありゃしないかい。ともかく、他人の喜ぶような言葉や行いを、人生の楽しみとするという尊い気分になって生きてごらん。今日から。