一厘の秘密と仕組(大本教の神典)

「契約の箱アーク」は、秦氏(暗号者)によって日本に持ち込まれた!?

「艮の金神」(国常立尊)の正体を追ってきた。それは、この神名も暗号と関係があることを、お伝えしたかったからである。それともう一つ、神名が異なると、異なった宗教の神であるような印象を持ち、肝心の「神の世界」を正しく認識できないと思ったからである。
実を言うと、私自身が、この神名の違いに引かかっていた。
大本教の神典と日月神示は、香代子先生の「神の世界」と、同じ世界から降ろされてものだと考えていた。だが、どうしても気になったのが、神名の違いである。何度も言うが、「神の世界」は一つで、それは万国共通である。そして多くの宗教も、王仁三郎の言うように「万教同根」、元は一つである。
それでは、もう一度『霊界物語』に戻り、いよいよ「一厘の秘密と仕組」の核心に迫ることにしよう。
先述したように、『霊界物語』に記された「一厘の秘密と仕組」は、

「終末に、大神が世界改造を行うために使用する『神宝』は、邪神に奪われてはいけない。そこで、肝腎の神宝の精霊は、誰にも言わずにシナイ山の山頂に隠し、精霊の抜けた形だけの神宝を、竜宮島および鬼門島に隠した」

と、いうものだった。
先述したように、この神宝は失われた「契約の箱アーク」のことで、それは暗号者と関係がある。だとすれば、「契約の箱アーク」は、暗号者によって日本に持ち込まれ、どこかに隠されている可能性が考えられるが、驚くことに、このことを裏付けるような説があるのだ!?
秘密結社「ヤタガラス」と接触のある、飛鳥昭雄氏と三神たける氏の両氏によると、「契約の箱アーク」は伊勢神宮でお祀りされているというのである!?
(『失われた契約の聖櫃アークの謎』飛鳥昭雄・三神たける著 学研)(『失われたアークは伊勢神宮にあった』飛鳥昭雄著 雷韻出版)
しかも、この「契約の箱アーク」を日本に持ち込んだのは、なんと!秦氏だというのだ!?
暗号者=秦氏=イスラエルの「失われた10支族」の一員だった。
ところで、「契約の箱アーク」がいつ失われたのかは、明らかになっていない。はっきりしているのは、紀元前586年、エルサレムのソロモン神殿が破壊された時に、「契約の箱アーク」はなくなっていたということである。その証拠に、南ユダ王国を滅ぼした新バビロニアの略奪品のリストに、「契約の箱アーク」の名がない。
そのため、「契約の箱アーク」の消息について、さまざまな説が生まれる。
例えば、ソロモン王の時代、シバの女王によってエチオピアに持ち去られ、以後ヤハウェの神殿にそのレプリカが安置されていたということで、現在もエチオピアにあるという説がある。また、エルサレム陥落の前に、エルサレムの地下に隠された、あるいは破壊されたという説もある。
そういった多くの説の中に、「契約の箱アーク」は、イスラエルの「失われた10支族」によって運び去られたという説も、唱えられているのである!?

「契約の箱アーク」と「元伊勢伝承」

先述したが、『失われた契約の聖櫃アークの謎』によると、「契約の箱アーク」は伊勢神宮にお祀りされているという。詳しくは前掲書を参照して欲しいが、その本には、伊勢神宮に「契約の箱アーク」がお祀りされていることについて、数多くの証拠を示されている。
一例を示すと、神輿と「契約の箱アーク」の類似性や、意味不明のお祭りの「はやし言葉」が古代の朝鮮語やヘブライ語で解釈できる、などといったものである。なかでも、〖約束の地〗で紹介した「元伊勢伝承」の27か所の神社が、すべて秦氏と関係があることを突き止められたことは大きい。
このことから、神宮の移動の背後には、秦氏、すなわち暗号者の関与があったことが明らかになった。
さらに契約の箱「アーク」は、「幕屋」という移動式の神殿のなかで祀られていたが、次の図で示すように、日本の神社の形は幕屋をもとにしているのである。その理由は、神社の創建に、暗号者(=イスラエルの「失われた10支族」)が深く関わっていたからである。

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■日吉神社の神輿